まだ夜明け前なんですが、考え出したら止まらなくなったので書くことに。
「耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳」と「耳刈ネルリと奪われた七人の花婿」を読んでの考察として
第八高校って何のための学校なの?
というのを思いついたので書いてみます。
物語の舞台となっている八高こと、第八高等学校は活動対連邦の本地(たぶん本国的なところ)のどちらかというと辺境にあるらしき学校。
各国の王族の子女が通う学校で本地民は4分の1ほど。
この学校は何のために作られたのだろうか?
まず考えられるのは人質。連邦と各王国の関係、つまりは本地の中央活動委員会と各国の関係はあまりふれられていないので解らないけれど、シャーリックの事情などを見るに各国はかなり大きな自治権を持っているようだ。
というよりも連邦が一つの国として機能するための何かが見えていないので本当にいくつもの国を連邦という風呂敷で包んだだけに見える。
八校の生徒が人質だとした場合、彼らが連邦のつなぎそのものになる気もする。
ただし、スタッフに王国民もいるようなので、活動委員会=本地民、警備隊=王国民という構図があったとはいえ人質としてはどうなんだろう。◇○▽のベイン教国連合トリオが王族でないのもポイント。
つまり王族の子女が八高に進学するのは義務ではないのだろう。
もう一つは活動体のスローガン「自由、博愛、調和」に絡みそうなこと。
各国のつなぎと緩衝機構としての八高。
八校の仕組み上、各国の王族はこの学校の出身者が多い。つまり連邦を構成する各王国の王様や政府要人、さらには中央活動委員会の委員もかつてのクラスメイトや先輩後輩だったりするはずだ。
仲良く、というか少なくとも戦争以外の手段を使って(どちらかというと裏工作とかを使って)の外交がやりやすそうな気がしなくもない。
また、すべての国とは言わないまでも、多くの国の後継者達が同じ所にいるわけでやはり連邦内部での戦争に対する抑止力たり得るだろう。
そしてなにより、「自由、博愛、調和」という考え方を各王国に広めるためだろう。時間はかかるモノの、若い頃学んだ環境に人は影響されるので野蛮な辺境各国を丸ごと教育するための手段としては良さそう。
なにしろ200年前の耳刈ネルリの時代にはすでに共和制に移行し、さらにおそらく当時すでにいくつかの国の連合体であったらしき事を考えると構成国に対する宥和政策はかなり高度にシステム化されているのだろう。
まあ、ソ連がモデルっぽいので本地一国→本地を中心とする帝国→維新→共和国(の連合)→耳刈ネルリ→第二維新→活動体連合
かも知れない。という歴史だとするとやっぱり人質から発展した学校かも知れない。
ということで、書いて満足。また次回