紙の本は無くなるのかな?
まあ何事も断言すると突っ込まれるんだけど100%はなかろう少なくとも1000年スパンでは。
ただ、ここでいっているのは紙ではなくて紙の本なのでどうなんでしょうね。
紙の優位点はいろんな人がいっていますがメディアそれ自体がデバイスである点でしょう。再生装置なしで記憶/再生できるメディアは他にはあまりありません。
あとは耐久性でしょう。和紙なんか1000年以上持ちますからね。下手すると石版よりも持ちます。今のところコンピュータを使ったメディアではこれに勝る者はありません。
ただ、情報媒体として「紙の本」となるといつかはなくなるというか少なくとも一般には流通しなくなる可能性はあります。ユビキタス社会が実現して、社会そのものがメディアを再生するデバイスとなったとき少なくともその社会の中においては紙の本は必要なくなるでしょう。嗜好品としてはまた話は別ですし遺産としても別です。
すべてのデータは街なり国なり星なり銀河のデータベースに保存され、あらゆる建造物が立体映像なり某かのディスプレイを表示する機能を持ち、それらを個人が私的にも組織が公的にも利用できる。「紙の本以外のなにか」が完全に行き渡るにはそこまで必要なのではないかと思います。もしくはみんな生身の体を捨ててサイバー空間にダイブするか。
「星海の紋章」において、アーブによる人類帝国では紙を使う文化が無く征服した星との和平条約に使う紙を調達するのに調度品をぶっ壊して紙をすいたというエピソードが登場しますがそういう社会にでもならない限り紙以外のメディア/デバイスが紙を駆逐することは難しいでしょう。
こういった社会においてはこれらのシステムへの反論となる「じゃあ電気(あるいはエネルギー)が止まったらどうなるの?」という疑問は意味をなしません。
なぜなら、これほどの社会では電気なり何らかのエネルギーが停止するということが社会の停止、下手したら読み手の消滅を意味するからです。
しかし、これほどの社会となってなお、紙は残るでしょうし、紙の本もあるいは残るかもしれません。
本はコンテンツですがコンテンツだけではありません、装丁も作品です。
まあ、パピルスも羊皮紙も100%とまではいかずとも姿を消したといっても過言ではないでしょう。和紙も文書を保管する目的としてはほとんど使用されていません。お札とかおしゃれな紙として使われていますが。
そういう意味では「木や楮から作られる紙」はいずれ実用レベルから姿を消すかもしれません。まあ、紙という単語は単に「木や楮から作られるあれ」だけではなく似たようなものを示す概念となっているので新しい素材や機能を持つできてもそれは所詮紙ですよ。電子ペーパーだってエレクトリック“紙”なんですから。ならば前述のユビキタスなあれは量子紙かもしれないし仮想紙かもしれないのです。
紙の発明で我々は情報を書き残し共有することが可能となり、メディアが生まれました。そして未だにこれを越えるデバイスは鱗片さえ見せていません。
ただ、いつか紙をなくすことができると信じて新しいモノを探すのはおもしろいかもしれない。その時人類文明は様変わりするだろう。おそらく文字や絵を介したコミュニケーションやメディアは本当の意味で時代遅れになるだろう。紙の本がなくなるというのはたぶんそれくらい革新的なことだと思う。紙の中身を電子化したって紙の本の代替品でしかないわけです。
音楽にたとえるならば電子楽器やDTMの誕生で楽器が消えたか?歌うという行為が消えたか?というレベルだと思うんですが。音楽メディアとは同列に扱えるレベルの話ではないと思う。技術という概念的に。
なにはともあれ、これは非常におもしろい話題だし長いこと考えていた事なので本エントリは非常に良いネタをネット界に提供してくれました。おそらく他の人も大いに楽しんだと思う。