イゴールの書斎の富士本球さんが「式神」のネット上での新規公開の凍結を宣言した記事に対する私なりの見解です。
もちろん、私個人の見解であり、また、現時点での見解ですので将来のことも他の人のことも解りません。そして私と球ちゃんでは発表形態も創作背景も違うので一概には言えないことも事実です。
イゴールの書斎の富士本球さんが5月20日の日記で式神のネット上での新規公開を凍結する旨を発表しました。ものすごい勇気ある行動だと思います。で、球ちゃんが語っている内容は興味深いしネタにしやすいのでトラックバックをとばしてみます。
ここ最近オフ活動(同人誌即売会等)を経験して思ったのです、
お金をいただいているのにそれがそのままネット上にあるのは買ってくれた人に失礼ではなかろうか?
HTMLでネット上に上げられてモニタで見ることを前提とした情報とそれを本にした情報を同等と見るか否か、というところが味噌ではないかと。
私はそこは同価とはとは思えないので「缶の底」の作品もネットにあがっています。「手紙」に至っては段組を整形してアップしました。まあ、「缶の底」はSHOSiRA君のおかげで「装丁も作品だ」といえるほどのデザイン性のあるものに仕上がっているからというのもありますが。
ネットでも本でも両方楽しんでください。ということです。間口を広げるというか。
さて、しかし、私の手法は「短編や詩が中心だからできる」可能性もあります。またTra-izonの作品の方向付けをしたといえる「缶の底」のデザイン性が高く(つまりSHOSiRA君のおかげ)紙とHTMLの差を出しやすかったというのもあります。さすがに球ちゃんのような長編小説でデザイン的付加価値は難しいでしょう。逆に読みにくくなるでしょうし。
だからこそ彼は毎巻短編をつけてくれます。立派な付加価値だと思います。
でも、本になる。というのがすでに付加価値だと思います。物語は情報だけではありませんし、HTMLの文章は長く読むと疲れてきますし。
せっかくのネタというか同人活動のみならず創作活動をする上で突き当たる壁ではありますよね。ということで似たようなエントリが見つかればいろんな方の意見を比較してみるとおもしろそうなんだけど今のところ見つかっていないので見つかり次第追記かポストしようかな?